昭和59年09月29日 教祖生誕祭



 おめでとうございます、一言ご挨拶を申し上げます。これは私自身の事でございますけれども、もし教祖金光大神様がこの世においでにならなかったら、今日の私もこんにちの合楽もまた合楽に御縁を頂いて、本気で信心の稽古をなさった居られる方達も実は無かった、今日の私共はなかったと思います。思えば思う程考えれば考える程、ようもようも金光大神様の御信心を頂いておった事だと。なるほど始めの間はただおかげを頂くから、御利益が高らかだからとまぁ信心をさせて頂いて。
 それで一門の信心、信心者と思っておりましたけれども、段々分かればわかるほど、教祖金光大神様が身をもって教えて下さった事。天地金乃神様、天地の親神様から直伝、直接お知らせを受けられて人間の真の幸せの、手立てを御教えに残して居って下さった事でございます。教えもままならなかったただ金光様を唱えておったという時期、この何十年間のおかげ信心から初めて気付かせて頂いた、教祖様のお言葉の重みと言うか、金光教の信心をするなら教祖様の御教えを頂き。
 これを生活の上に頂き現わさなければいけないと気づいて、おかげを頂く様になりまして、本当の意味においての助かりおかげというものを感じる様になりました。私がそういう有り難い心の状態が開けてまいりましたら、私と同んなじ様な心の状態を開きたい、金光大神の御教えをより深く頂きたい分かりたいという人達が、私の周囲にたくさん集まって来られるようになりました。
 だからそういう方達のもうま言葉をもしここで借りるならね。教祖金光大神様この世にいませなかったら、今日の私の幸せはなかった、この有り難いおかげの世界に住む事は出来なかった。最近いよいよ気づかせて頂く事は、もういよいよ教祖金光大神様の教えられた事は、私共が頂こう守ろうと思うたら誰でも実行の出来れる、御教えばかりでございます。その御教えを行じさせて頂いて思う事は、魂の清まりとでも申しましょうか。はあぁこのまま魂が清まりに清まって行くならば。
 又次の世の世界でも、いよいよ有り難い魂の世界に住む事が出来るなぁと言う様な感じが、非常にこの頃強くなりました。そういう生き方を私は安心の生き方と言うのではないかと思います。それを安心立命と言った様な事を説かれた、大宗教家がいくらも居られました。けれどもそれはとてもとても私共では、手の届かないような境地の様にございますけれども、私共が日々喜びしかも心が安らぎ安心して和賀心、いわゆるやらかい和らぎ賀ぶ心で日々を過ごすことが出来る。
 それはどう言う事の場合であってもそうである。今日の私が身体がこんなに不自由で、しかも歩くにも人の手を借らなければ出来んのでございますけれども、そういう中にありまして一日置きにだいたい病院に参ります。あちらでまぁ約6時間こう寝たっきりの治療を受けます。もうたくさんおベットが並んでおります。もう本当にこれが地獄だろうかと思う様な声をあげてども、まぁ苦しんでおられるというのか嘆いておられるのか、そういう方達もある中に。
 私はもうそういう方達の事を一生懸命に願い祈る事が出来る。自分の心の中には最近有り難いとか勿体無いとかと言う心ではない。これは私が最近ここ半年あまりに実感させて頂いておる事でございますけれども、不思議な不思議な心が頂けてま開けてまいりまして。始めの間は一週間続くだろうか十日続くだろうかと思うておりましたら、今日まだその心が頂いておると言うのは、嬉しいと言う心でございます。子供の時にさぁ運動会だ遠足だと言う時に前の晩眠れないように心が躍って参ります。
 心が嬉しかった、あぁいう嬉しさとでも申しましょうか、それが何時も絶えず心の中からこう清水が湧く様に居続けておる、これは皆んなにお話をしても本当だろうかと仰る方があるかもわかりません。けれども本当なんです。そういう世界があるんです。もう嬉しゅうて嬉しゅうてと言う世界。どうしてこういう有り難い嬉しい世界が開けて来たであろうかと、自分の過去七十年間を振り返って見て様々な所も通りましたけれども、段々おかげを頂いて教祖金光大神様が身を待って体験なされ助かられて。
 天地の親神様から、直接にお受けになられた御教えを、本気で守らせて頂く様になってからこの方の事だと思います。とっちん人生、様々降る事も照る事もありますけれども、その一切が有り難い。今私の心で言うなら、嬉しい心で受けられるとする世界がもしあるとするならば、こりゃどうでも皆さん、本気で稽古さしてもらって頂かなければなりません。親と呼ばれ子と呼ばれるほど深ぁい縁はございません。それでもそれが思う様にならんのが浮世。
 これは歌舞伎どんどろ返しの中に出て来る「いんでいお鶴」のあのお芝居の中で、母親の「おゆみ」が申しますせりふでございます。親となり子となるほど深ぁいはないけれども、思う様にならんのが浮世、親が先だったり子が先だったり、そういう世界がもう普通であり相場であるように私共は思うておりました。思う様にならんのが浮世であると思うておりました。ところが教祖金光大神様が受けられた、親となり子となるほどの深ぁい縁と言うよりも、天地の親神様と私共との関わり合いに於いて。
 その天地の親神様の切実心を、氏子私共にお伝えくだされた。そのお伝えくだされた親神様のお心を心として、生きる生き方を金光大神は私共に教えて居って下さったんだと思うですね。だから本当に親と呼ばれ子と呼ばれるほどの深い縁はない。天地の親神様と私共の関わり合いほど素晴らしい有り難い縁はないけれども、その御縁をご縁と知らずしてこの世を去っていくっ人がどの位い多いか分かりません。
 今合楽では全世界、英国、ヨーロッパ、南米ブラジル、米国当りに合楽の信心を頂いた方達がね、一粒万倍のおかげを頂きたいと、それぞれ合楽理念の実験実証をもって、又その土地の方達にも伝えて行かんと言う、やむにやまれん愛教精神からそういう働きが現在合楽では起こっております。ここだけに様々ないうなら生き方あり方がございます。アフリカと言うところでは一億五千万もの方達が、飢えに苦しんでおると言う話をニュースで聞きました。今なお医学ですかの戦争が今日もなおも続いております。
 人間と人間の殺し合いをする、そういう世界はなんと悲しい事であろうかと思います。又はんなら小さく申しまして家庭の中でもそうです。親と子とがいがみ合い親子断絶と言う、こんな悲しい事があるでしょうか。私共はそういう世界から本当にまたとない、親と呼ばれ子と呼ばれ、また天地の親神様と私共の関わり合いというものを、より深く広く分からしてもらって。私が今日皆さんに申しております。本当に嬉しい世界、それはいつの場合でも心の底から涌いて来るもの。
 そういう世界が私のようなお粗末御無礼な生き方をして来たものが、あん時突然私の心の中に、生神金光大神の教えが生きて来た。そしてその教えが日々の生活の中に頂かれる様になって来たら、今日の私の心の状態、いや又は合楽のおかげの世界が開けて参りました。それもこれも本当に教祖金光大神のね、いうならばお誕生がなかったら、今日の私はございません。またご神縁を頂いて本気で信心の稽古をなさっておる方達にも言える事だと思いますがそういう意味で。
 今日は教祖様のご生誕を心から御祝福申し上げると同時に、私共も本当に喜べれる嬉しい一日であったなと思えれる、一日で今日はありたい、それを教祖金光大神様のお礼にさせて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願い申します。席を変えましてあちらであのう何時もの様に福引がございますそうですが、その福引のあの御理解には、それぞれが神乍らなお願いをさして頂いておりますから、それを引き当てて自分の心に押し当てて、色々より有難い生活に入っていけれる手立てともなさって下されば大変有難い事です。
   どうぞよろしくお願い申します。